泣いた烏がもう笑った

かつての深淵を覗くときまた己も今の深淵を覗かれているのだ

家が嫌いだった話

今はそうでもないが私は家が嫌いだった。

 

小学生の頃は特に気にもしたことがなかったこの感情は中学に入ってから急速に膨らんでいったように思う。

 

それは妹のことが大きく関係している。

 

私には妹が2人いるがそれぞれとある問題を抱えていた。

 

1人はいじめによる不登校、もう1人は発達障害と学校教師・学校組織との相性不一致による不登校

 

2人とも中学校はほぼ通わずに終わっている。

 

私が中学に入学した頃はちょうど2人の妹たちのことが相次いで起こった時だった。

 

当時の私はそれぞれの事情も知らず何故学校に行っていないのかという疑問を日々抱えながら通学していた。

 

正直羨ましかった。羨ましくないわけがなかった。体調が悪いわけでもなんでもないのに学校に行かなくていいということが。

 

自他ともに認めるコミュ障で人間関係を築くのがとても苦手な上、新しい環境で知り合いもほぼ0に等しい日々はストレスの素でしかなかった。

 

新しい環境に知らない同級生、部活や学校活動で生まれる先輩との上下関係、往復で2時間近くかかる通学時間。

 

自分で選んで進学したとは言え入学して慣れるまで1年近くかかった生活だ。

 

精神的に疲れ切って家に帰れば妹たちは学校に行かずそれぞれテレビを見たり漫画を読んだり好きなことをしている。

 

腹が立たないはずがない。加えて母も当時一緒に暮らしていた祖母も学校に行かずに家で遊んでいたことに対して何も言わなかったこともそれに拍車をかけていた。

 

そんな妹たちを見るのがいやで私は家にいる時間がどんどん減っていった。

 

朝の6時半過ぎに家を出て18時過ぎに部活が終わりそこから塾へそのまま行き夜の9時~10時過ぎに家に帰る。それに加えて土日は部活や図書館へ行くと言って家にできるだけいないようにする。

 

家には寝るためだけに帰っているような生活を私は高校を卒業するまで6年続けていた。

 

今思うとまるでサラリーマンのような生活だ。それが正解だったと今でも思う。

 

妹たちは今それぞれ高校を卒業しそれぞれの夢に向かって進学して1人は夢を叶えているが私が中学2~3年の頃は特にひどかった。

 

毎日毎日水と油同士の性格の妹と弟の喧嘩の声や泣き叫ぶ声が響きそれに我慢の限界を超えた祖母が怒る声が家じゅうに響き渡る。

 

それに加えて四六時中聞こえてくるテレビやパソコンから発せられる音。

 

精神的に不安定なった妹たちの自傷行為

 

母はそんな妹たち2人を支えながら看護師として働いていた。

 

気が狂いそうな環境だった。

 

文面だけでは想像しにくい人は四六時中家の中で大音量で3種類くらいのCDを同時に流し更に目の前で自分の身内に自傷行為を何度も目の前でされるところを想像してもらえればなんとなくわかってもらえると思う。

 

家に帰ればそんな音が寝るまでずっと聞こえてくる。

 

そんな日々が1年近く続いていた。

 

それが耐えられなくてあのサラリーマン(仮)生活をずっとしていた。

 

そうしていなければきっと私の気も狂ってしまっていたと思う。

 

本来一番休めるはずの場所が一番休まらない場所であった私の逃げ場所が塾だった。

 

中学受験をするにあたって通いだした塾の先生たちは妹たちの事情もある程度知っていた上、私は塾の中でもかなり早い時期から通っていたため先生たちとも気心が知れていて軽口を叩いたり愚痴をこぼしたりできるような仲であったことも大きい。

 

塾でだったら家や学校でこぼせない愚痴をこぼせた。

 

当時の私にとって唯一”しんどい”と素直に言える場所が塾だったのだ。

 

塾と長女だから私まで崩れるわけにはいかない、私だけは普通でいなければならないという強烈なまでの思い込みがあの頃の私を支えていた。

 

だがその1年が一番のピークでそれからは少しずつ音が減っていっていった。

 

そのおかげか高校の時は中学の時ほど家にいて苦しかった記憶は少ない。

 

普通の学生よりはハードだけど私からすれば随分と穏やかな高校生活を送ることができたように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家が嫌いだったのは私が長女であることを無言のうちに強要されていたように感じていたからだ。

 

勿論きっと家族の誰もそんなつもりはないだろうし私が勝手に感じているだけだ。

 

色々な物を制限され比較的厳しく躾けられた自覚のある私と特に制限もなく自由に過ごしてきた妹たち。

 

要領がよく自己主張や自分の好みの主張の激しい妹と比べて自己主張や自分の意見や好みを通すことが苦手な上無意識下で自分の意見を通してはいけないと思って過ごしてきた自分。

 

もう過ぎたことだし今更変えられるわけではないから別に気にしてもどうしようもないことはわかっている。

 

でもきっと私は妹たちがうらやましいんだと思う。

 

我慢という選択肢をしなくていい妹たちが。

 

自由に辛い・嫌だ・逃げたいと叫べる妹たちが。

 

私は心配かけられないから、妹たちの方が大変だからと家族の誰にも叫べなかったから。

 

ずるいなあ…どうして私はだめなんだろう…どうして私ばっか吐き出すことをゆるしてくれないんだろう…私が一番上だからだめなんだろうな…なんて思っていた。

 

 

けどそれも今日で終わりにしようと思う。

 

妹を羨む気持ちを認めるだけでも十分だ。

 

妹たちを羨んだところでどうにもならないし何かが変わるだけでもない。

 

羨んで変わるなら喜んで羨むがこの性格も思考も精神性もきっと何も変わらないのだから。

 

だったらこの人並み外れて頑丈というかガバガバになったこのメンタルを存分に活かして使い倒す方がよっぽと自分のためにも誰かのためにもなると思う。

 

へこむのも悲しむのも嘆くのも全部当たり前だし当然だから別に気にしない。

 

毎日笑っては過ごせないけどへこんでもすぐに笑えるような私でこれからもいたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の推しに会ってきた話

丁度先週の今頃、私は普段生活している九州の地を離れ都内にいた。

目的はただ一つ、「テニプリBEST FESTA!!~青学vs氷帝~」に参加するためだ。

ZeppDiverCityで行われるこの公演に参加するため私は人生初の遠征を決意した。

 

なぜこれが人生初の遠征となったのか?

それは私が今現在住んでいる場所が大きく関係している。

私が現在住んでいるのは長崎県だ。

出島やハウステンボスで有名なあの長崎県である。

漫画や雑誌、小説の新刊が発売日に届かなかったり見たい作品の劇場版が県内の映画館では上映されず福岡まで映画を見に行ったりしなければならないこともあるが住むには決して悪くないところだと思う。

ただ1つ不満があるとすれば遠征の際に嵩む交通費だ。

九州圏内だったら問題はないが、大阪や東京といった大都市圏で行われるイベントに参加しようと思った場合、私の場合だがまず真っ先に考えるのはイベントの参加費よりも交通費だ。

仮に東京であるイベントに参加しようとした場合、時期にもよるが交通費だけで3万~4万飛ぶこともざらである。

そこに更にチケット代や都内の移動にかかる電車代、飲食代、宿泊代なども含めると学生にはそれなりの額が遠征で飛ぶことになる。

それが遠征を考える際の大きな問題であった。

勿論今回もそれは同じだ。

だが、どうしても行きたい理由があった。

それは今回の公演が青学vs氷帝と冠されているように本当に初期から出演している2校による公演だったからだ。

オタク歴がおよそ人生の半分を占めている私だがハマった当時の熱量のまま追いかけ続けている数少ないジャンルがこのテニスの王子様という作品であり私にとってはもはや実家どころか殿堂入りしている作品である。

登場する学校は多数ありどの学校のキャラクターもとても魅力的で語彙力の足りない私では説明しきれないのが大変悔しいのだがその中でも特に思い入れが深く今でも好きで好きでしょうがないキャラクターが1人いる。

 

それが私の人生の推しである手塚国光だ。

色んな意味で私の初めてを奪っていったのはこの男である。

どこに惹かれたのかと聞かれてもうまく答えられない。

思考も言動も行動も生き様全てに惚れたとでも言えばいいのだろうか。

 気がついたら好きで好きでしょうがなくなっていたとしか答えられないのだから重症だと思う。

でも、それだけの魅力が彼にはつまっていると私は思っている

そして今回の遠征を決断させたのも彼の存在だった。

 

テニスの王子様通称テニプリは過去に何度かライブ形式のイベントが行われている。

近年だと2016年の「テニプリフェスタ2016~合戦~」や2013年の「テニプリフェスタ2013」などがあるがここ数年はあまりこのようなライブ形式のイベントがなく、また過去のイベントに関しても私は日程の関係もあって参加出来ず結局テレビやパソコンの画面越しにしか見たことが無かった。

そんな中で今年の8月に行われた仙台のイベントで発表された久しぶりのライブ形式のイベントの開催。

詳細が出る前に私は参加を決断していた。

 

””一度でもいいから推しに会ってみたい”

 

ずっとくすぶっていた炎が苛烈に燃え上がった瞬間だった。

 

 

映画鑑賞で得られる最速選考に円盤購入による選考、どちらも応募し3公演のうちの1公演のチケットは取ることができた。

チケット当選のメールを確認した後うれしくてうれしく思わず手元にあった本で自分の頭をコツンと叩いていた。

ちゃんと痛みがあった。

それでやっと現実だと認識できた。

ライブは勿論リリイベや応援上映などのイベントに悉く参加出来なかった私にとって僅か数十メートル先にキャラに命を吹き込んでくれた声優さんたちがいて、大好きな曲を歌っていて、キャストさんたちがわちゃわちゃ話していて、スクリーンの大画面には大好きな推しが映っているという光景はずっと夢だった。

ようやっと夢が現実になるのだと思うとそれだけでうれしくて辛かったことも嫌なことも頑張れた。

推しの効果すごい。

ライブについて勉強することも会場までの移動手段の確認も物販の確認もライブに関わる全てが全部ぜんぶ楽しかった。

こんなにワクワクして過ごすのは久しぶりというぐらいワクワクしていた。

 

地に足つかないまま年を越しいよいよライブの日が近づいてきた。

午前中に大学の授業を受けて午後の飛行機で羽田へ。

着いた日は早めに寝てしまい翌日からは大都会東京を少しだけ満喫してきた。

静岡で生まれながら私は東京に部活の大会や修学旅行を含めても片手で足りる回数しか行ったことがない。

地図が読めない人間なので決して広い範囲は回れなかったけどそれでも首都東京をそれなり楽しんでいた。

ツイッターでみるだけだったテニプリの公式ショップにいったり映画を見たり、休日の延長みたいな感じではあったけど、普段インドアで引きこもりといってはばからない人間なのでこれくらいでちょうどいいと個人的には思っている。

 

1月19日、ついに公演初日を迎えた。

会場では見れないけれど運よくライブビューイングのチケットが取れたので中高時代の友達と合流して新宿のバルト9で開演の時を迎えた。

OPは8月に公開された「劇場版テニスの王子様BEST GAMES」のOPでもあったBEST GAMES!という曲のヴァイオリニストのAyasaさんによる生演奏だった。

イントロが流れてきた瞬間に涙腺が死んだ。

比喩ではなく死んだ。

まるで壊れたように涙しか流さなくなったのだ。

生演奏が終わるとすぐにキャストさんたちが登場してきて今回のフェスのために新たに書き下ろされた曲「ベスフェス~Are We Cool?~」の全体唱和が始まる。

スクリーン1枚挟んでいても現実だとは思えなくてそれほどまでに夢みたいな景色だった。

今までのフェスの曲同様歌いやすく覚えやすい歌詞ながらかっこよさと応援歌としての面を併せ持ったこの曲はベスフェスが終わった今でもずっと聴いている。

 

その後は各校部長によるソロ曲が続いたのだがこの時点で私の体内の水分の1/3は失われていたと思う。

CDとは全く違う生の声と演出、ここまで変わるのかと感心すらしてしまうほどの違いだった。

ずっと聴いていた曲が次々に出てくるこの空間はほんとうに夢のような時間だった。

特にこの19日の公演でははじめて氷帝学園のキャストが全員そろった記念すべき公演でもありスクリーンごしとは言えその場に居合わせることができたのが何よりもうれしくて幸運だったな今でも思う。

さらに今回のこのベスフェスのコンセプトは青学vs氷帝であり関東大会初戦をイメージして曲のセトリが組まれていたため、曲を聴くごとにアニメや漫画で見た数々のシーンが蘇りそれがさらに感動を強めていたように思う。

19日のセトリで組まれていた曲はどれも好きな曲ばかりだったのだが圧巻だったのは全員で歌っていたGather という曲だったと個人的には思う。

元々は青と瓶と缶というアニメ内のユニットが歌っている曲なのだが今回はこの曲がアンコールに選ばれていた。

この曲は私が中学生だった当時買っていた数少ないCDの1曲であり大好きな曲でもある。

そのためアンコールにこの曲が選ばれただけでもうれしくて飛び跳ねたいくらいなのだったが歌唱のパート訳がとても素晴らしくてライビュの終わりも終わりに大号泣をかましてしまったのだ。

正直一緒に行ってくれた友人に申し訳ない気持ちしかない。

ソロパートは勿論あるのだが各校のダブルスのペアやシングルスの対戦相手同士、それ以外にも特別な関係の2人(青学の柱(手塚と越前)や跡部樺地)や学校ごとなど関東初戦までの歴史を全て感じられるようなパート訳をしていたように感じたのだ。

勿論これはあくまで私が個人的に感じたことだし感じ方は人それぞれでもあるため断言はできない。答え合わせは円盤が発売されてからだ。

漫画の連載が始まって20年、アニメが始まって18年たつ2019年にこうやって歴史を振り返ることができるようなセトリを組まれるのは本当にしんどいの一言に尽きる。

ライビュの最初から最後までずっとふわふわした状態でいて終わってからもふわふわしていた私が正気に返って最初にまず思ったのはこれ会場で生で聴いたら頭溶けるんじゃないかということだった。

今考えるとお前は何言っとるんじゃ?という感じもするがその時は脳があまりの情報量と感情に処理が完全に追いついていなかったのだと思う。

それくらい感動と歓喜がつまっていたのだ。

 

 

そして翌20日、ついてに会場で公演を見る日だ。

人生初の物販にドキドキしながらぼっちで並び目的のペンライトを購入。

時間に追われながら昼食を取りすぐに開場の列に並んだ。

根がどうしようもないコミュ障のため人が多いところはあまり得意ではないがここにいるのはみな同じ作品が好きな同士だぞという刷り込みはあまりに強力でなにも感じることなく無事会場に入場。

コインロッカーに買ったばかりのペンライトを閉まったまま鍵をかけてしまい1回分のロッカー代を無駄にしてしまったこと以外は特に愉快なイベントはなかったと思う。

開演するまではBEST GAMESの第2弾の公式PVやOVAのCMが流れていたのだがどれも知っているシーンで尚且つ好きな曲ばかり、会場から聞こえてくるのは歓声とも悲鳴ともつかぬ声ばかりで心の底から安心したのをよく覚えている。

開始前のアナウンスが流れていよいよ公演が始まった。

セトリの大枠は19日の公演と大きく変わっていない。

会場いっぱいに光る青と水色のペンライトもステージ上で輝くキャストさんたちも画面いっぱいに映るこのために書き下ろされたキャラクターたちも何も変わらない。

なのに出てくるのは涙と嗚咽だけだった。

会場で直接大好きな曲を聞けることの威力の大きさをやっと私はこの時学んだ。

次いつ見れるのはわからないからしっかりと目に焼き付けたいと思いながらも脳も目も本来の役目を完全に放棄していた気がしてならない。

推しにはヒーリング効果だけでなくデトックス効果まであるのだろうかと真面目に悩む程度には泣いてばかりだった。

でもちゃんと氷帝コール(負けるの青学と敗者は手塚は宗教上の理由で言えなかったが)はしてきたしベスフェスでのコールも全部できたから満足だ。

ペンライトを振る楽しみもこのベスフェスで知ることができた。

2時間強の公演はほんとうにあっと言う間で気がついたら最後のベスフェスが始まっていた気がする。

終わりが来るのがただただ悲しかった。

もっともっとこの時間を共にしたかったなという思いでいっぱいだ。

 

 

 

 

 

終わってしばらく経ってみると好きなものばかりに囲まれていたあの空間はすごく幸せな場所だったと思う。

テニスの王子様もキャストさんたちも先生もプロデューサーもテニプリ関係の楽曲に関わっている作詞家・作曲家の方も2.5の俳優さんたちもテニスの王子様が好きなファンの人たちも私はみんな好きだ。

なんでと言われてもそれはこの一言に尽きると思う

 

”みんなそれぞれの形でテニスの王子様という作品を愛しているから”

 

自分が好きなものを沢山の人たちが大切にしてくれて愛してくれているってこれ以上にないほど幸せなことじゃないかなと私は思っていたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

決意なんて大層なもんじゃない

私は基本日記というものが続かない。

それは小学生の頃から変わらずで高学年になると毎年出されていた1日日記なる宿題が一番苦痛で嫌いだった。

文章を書くこと自体が嫌いなわけではない。

ただ毎日義務として書かなければならないとなると途端にできなくなる。

だから今回も毎日なんて続かないと思っている。

思ったことを思ったように書きたい日に書くスタイルが私には一番合っていると自分では思っているが自己評価でしかないから正直なところは解らない。

 

ここに書く話は決して明るい話ばかりではないだろう。

むしろ暗い話の方が多いくらいだ。

でも暗い話と分かっていても私はあえて書くことにした。

理由はただ一つ、過去の私の叫びを昇華させてあげることができる場が現実世界に存在しないから。

長女という雁字搦めの枷から抜け出せなくて自分がしんどいことさえも気づいていなかった己に現実を突きつけるためである。

 

 

書いておいてなんだが別に自傷癖があるわけではない。

精神的痛苦に対しては比較的鈍い自覚はあるが肉体的痛覚は正常だ。

だからこそ現実を突きつけなければならないと思っている。

あの時の無茶や無理は学生だからできたのであって今は仮に出来たとしてもどうしても必要に駆られた時以外はするなと。

ある意味自戒を込めてこのブログの立ち上げた。

誰かの助けになるとかそんなことはできない。

私はそこまで立派で中身のある人間ではないしむしろ空っぽだ。

だけど、もし私と同じ状況で苦しんだ人がいたならば私はその人に伝えてあげたいと思う。

 

「今までよく頑張って来たね」

 

 

 

それはあの頃の私が何よりも欲した言葉だったから